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令和6年度島根が生んだ石田種生の世界 メンバー募集中!!

ダンサー会員の方から一般の方の賛助会員まで現在広く募集中です!!ぜひご参画ください。

島根が生んだ

石田種生の世界

島根が生んだ石田種生のバレエ
ブラックファブリック

石田種生とは

1929年、島根県大田市生まれ。慶応義塾大学文学部美学科卒。在学中にバレエの道に入り、1955年、松山バレエ団公演〈白毛女〉でデビュー。東京シティ・バレエ団の創立メンバーとして活躍。

古典バレエをはじめ数多くの作品に主演する一方、〈枯野〉〈祇園祭〉〈女面―光と影―〉〈ヒロシマのレクイエム―うしろの・しょうめん・だあれ〉など日本の風土に根ざした創作バレエを発表。韓国、アメリカなどのバレエ団から〈エスメラルダ〉の振付上演を委嘱され好評を博す。ヨーロッパで生まれたバレエの枠にとらわれず、日本の風土、文化を生かした作品によって世界で注目される振付家・舞踊家として活躍した。

文化庁舞台芸術創作奨励賞、橘秋子特別賞、ニムラ舞踊賞、東京新聞舞台芸術賞、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章ほか。

年表はコチラ

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石田種生生誕95周年記念
「くるみ割り人形」

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​活動内容

 「島根が生んだ石田種生の世界」は、2012年4月に逝去された石田種生先生の功績を称え、次世代へ継承していく活動をしています。
 石田種生作品にある、日本、島根の伝統的な民俗文化と、バレエという西洋芸術の粋を融合する試みを顕彰し、世界と日本を結び新たな文化を創造・発信する人材の育成につなげたいと考えています。
 具体的には、石田種生振付作品の上演、蘇演、関連資料の展示、講演などを通じて、バレエという総合芸術のみならず、石田種生の創造の原点である島根の文化の豊かさを経験し、再発見するための企画、運営、出演等を行います。これまでの主な活動は以下の通りです。


2018年10月 

「島根が生んだ石田種生の世界」 『白鳥の湖』より第2幕、「風花」大田公演と特別展示(大田市民会館大ホール。大田市文化協会との共催)

2019年3月 

「出雲フェスティバル2019 出雲大社御遷宮完遂記念 出雲阿国舞踊集団による舞踊公演」における、『白鳥の湖』より第2幕、「風花」の上演(出雲大社 東神苑特設会場。主催は出雲市文化芸術振興実行委員会)

2019年3月

 「島根が生んだ石田種生の世界」『白鳥の湖』全4幕 松江公演と特別展示、講演(島根県民会館)

2020年1月

 「出雲フェスティバル2020 バレエと日本舞踊の饗宴 出雲阿国舞踊集団による舞踊公演」における、『白鳥の湖』より第2幕、「風花」の上演、『お夏清十郎』よりパ・ド・ドゥの蘇演(大社文化プレイスうらら館。主催は出雲市文化芸術振興実行委員会)

2023年10月 

「島根が生んだ石田種生の世界」『くるみ割り人形』全幕上演

2024年9月

「chérir ~石田種生の世界バレエコンサート~」上演予定

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イベント情報

About
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石田種生の歩み

1938 / 昭和4年

島根県大田市の料亭仁万屋の五男として誕生

1945 / 昭和20年

学徒動員で出向していた愛知県から帰郷。大田高校進学、野球部に所属。この時、石東文化協会や三瓶座が組織され、仁万屋が三瓶座の練習場となる。大田高等女学校・大田中学校で傷病兵を目の当たりにする。

1950 / 昭和25年

医学部進学を諦め、慶應義塾大学美術科へ入学。演劇研究会に入部。舞踏家 伊藤道郎から初めてダンスを学び、バレエの道へ進む。

1952 / 昭和27年

服部・島田バレエ団に入団

1953 / 昭和28年

服部・島田バレエ団を15名で退団し、青年バレエグループを結成

1954 / 昭和29年

慶應義塾大学卒業。松山バレエ団に男性第一舞踏手として入団

1955 / 昭和30年

<白毛女>台本・振付・主演により舞踏家としてデビュー​。初めての公演料で父へみやげを贈る。この二週間後、父 四郎没

1956 / 昭和31年

中学時代の音楽教諭 龍末義範の作曲で<浮布物語>振付。

1958 / 昭和33年

松山バレエ団の中国公演で<白毛女>上演。出演。

1960 / 昭和35年

安保闘争。舞踏人青年協議会を結成し、舞踏会の安保反対運動をリードする

1963 / 昭和38年

NHK「日本の物語による創作バレエ」振付。〈枯野〉〈砂の城〉〈影武者〉の三部作を発表

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1968 / 昭和43年

​松山バレエ団を退団。東京シティ・バレエ団を創設

1969 / 昭和44年

<女面>(音楽:黛敏郎『涅槃交響曲』発表)

1970 / 昭和45年

​文化庁派遣在外芸術研究員として1年間欧米諸国をめぐる。帰国後、日本民族舞踏団に参加・伝統芸能などを学ぶ

1971 / 昭和46年

改訂版<白鳥の湖>、<エスメラルダ>発表

1976 / 昭和51年

京都バレエ専門学校の委嘱で、<月の光><マイセルフ>振付

1978 / 昭和53年

韓国国立バレエ団に招聘され、<シンデレラ>振付・演出を行う。著書『舞踏への旅標』(三省堂)出版。大田市文化協会設立3周年記念企画として、太田市民会館で<くるみ割り人形>上演。

1979 / 昭和54年

<雪姫>(音楽:チャイコフスキー『交響曲第一番』ほか)、台本・演出・振付。

1983 / 昭和58年

<耳なし芳一>発表。文化庁舞台芸術創作奨励賞を受賞。大田市民会館で<雪娘>上演。

1986 / 昭和61年

<挽歌>(音楽:シベリウス『トゥオネラの鳥』)発表。第3回埼玉国際創作舞踏大賞選考フェスティバルで最優秀賞を受賞

1987 / 昭和62年

​韓国国立バレエ団創設25周年記念公演に招聘され、<エスメラルダ>振付。

1988 / 昭和63年

橘秋子特別賞受賞。スイスのバレエ団の委嘱で、原爆を題材にした<SCHATTENRISS-壊れた影->を振付。3月16日、交通事故に遭い瀕死の重傷を負う。

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1990 / 平成2年

バレエの世界に復活。広島合同バレエ祭で<ライン>(音楽:シューマン)発表

1992 / 平成4年

​アメリカ・コロラド・バレエ団の招聘で<エスメラルダ>改訂上演

1993 / 平成5年

NHKドキュメンタリー『死の淵からの挑戦』放映。著書『舞踏 死と生のはざまで』(春秋社)出版

1994 / 平成6年

江東区ティアラこうとうで<石田種生の世界>上演。

1995 / 平成7年

終戦50年を契機に<ヒロシマのレクイエム-うしろの・しょうめん・だあれ>発表

1996 / 平成8年

ニムラ舞踏賞、東京新聞舞踏芸術賞を受賞

1997 / 平成9年

音楽教諭 龍末義範がガンのため亡くなる。遺作『ピアノ五重奏曲』で<妖>振付。紫綬褒章を授賞。

1998 / 平成10年

文化庁芸術祭『'98アジアの舞踏』で芸術監督。日韓合同で<女面-光と影->を改作、上演。

2000 / 平成12年

<風花>(音楽:モーツアルト『ピアノ協奏曲21番第2楽章』)振付

2002 / 平成14年

新国立劇場で<石田種生の世界Ⅱ>上演。

2003 / 平成15年

勲4等旭日小綬章を授賞。

2006 / 平成18年

〈桜の園〉(原作:チェーホフ)を日本舞踏と共同振付。

2010 / 平成22年

サンレディー大田で「石田種生と語る会」が実施される

2012 / 平成24年

​肺ガンにより永眠。83歳。

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